誓約説話の形式
概要
■記紀の誓約説話に関係する諸形式
天照大御神▼と須佐之男命▼の宇氣比(誓約)の説話に関して、神話的に「闘争・対立」「神婚・交接」の二つの意味が認められること、及び天界の王位簒奪等、各種の神話形式・観念と比較されていることは【古事記03a-2】において紹介した。ここではそれら諸形式・諸観念の類例を提示し、誓約説話がどういう意味を持ち、どういう意図によって語られているのか、また、どのように説話が形成されたのかということを考察する。
なお、記紀の差異に関しては【古事記・補足03-2a】の表を参照。
二重創造・平行創造
二大領域の代表者が自己の系列の神々を生むことによって争うという神話で、イラン神話に見られる。
■古代イラン神話 - 神典『ブンダヒシュン』
善神アフラ・マズダは、無限の光明世界に住み、悪神アングラ・マイニュは無限の暗黒の深淵に住み、両者を空虚が隔てていた。やがて、光明界を奪おうとする悪神と、それを守ろうとする善神の間で闘争が起きるが、両神は、それぞれ自己の系列の精霊等を生み出すことによって、相争った。
引用元:(確認中)
オオルマズド(アフラ・マツダ)は、無限の光明界に住み、これに対して、アハリマン(アングラ・マイニュ)は、無限の暗黒の深みに住んでいた。そして両神の間を空虚がへだてていた。ところが光明界の善神オオルマズドのところに、暗黒界の悪神アハリマンが国を奪いに攻めてきた。オオルマズドは、自分の系列の天使を創造し、アハリマンは悪魔を創造して光明界を征服しようとした。
――二つの宇宙領域の支配者が相争い、一方が他方を征服しようとする話だけだったら、決して珍しい話ではない。ところが、二大宇宙領域の支配者が、それぞれ自分の系列の神々(あるいは天使や悪魔)を生むことによって争うという争い方になると、これは大へん珍しい。
――『ブンダヒシュン』は、中世ペルシア語(パフラヴィー語)の本であるから、時代は記・紀と似たようなものである。しかし内容的にはより古いアヴェスタの佚文(いつぶん)にもとづくものと考えられているから、もっと前にさかのぼる。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P134、P137)
■誓約説話との共通点・相違点
誓約説話の場合、三界分治モチーフ▲によって特定の領域を与えられた二神が争っており、特に子生みによって闘争の決着をつけている点が共通している。記紀の記載によって子の性別等が異なっているが、物実の交換(つまり持ち主の子とする約束)を無視すれば、女神は女神だけを、男神は男神だけを生んでおり、自己の系列の神々を生んだものと解釈できる。ただし、誓約説話には物実を交換するという特殊な要素があり、イラン神話からはその要素を説明することはできない。そのため、単なる闘争と捉えることはできない。
花咲かせ競争
大林太良はかつて、二重創造が発展・変形したもの(及びその痕跡)として、ツングース諸族、中央アジア、朝鮮半島等の花咲かせ競争の類例を挙げた。ただし、それらの類例には仏教説話として(ブリヤート族経由で)広まったものも多く、『神話の系譜』において比較資料の選別を行い、それらを適切ではないとして取り下げている。
■中央アジアの仏教説話
オチルヴァニ(執金剛菩薩、しつこんごうぼさつ)とハヤン・シュクティが、桶(おけ)に水を注いで、どちらの側に植物が生えるか見守った。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P139)
■ブリヤート族の仏教説話
シベゲニ・ボルハン(釈迦、しゃか)とマダリ・ボルハン(弥勒、みろく)、エセゲ・ボルハンの三神が最初の一対の人間を作った。三神のうち誰が、人間に精神を創ってやるのか決めがたかった。そこで灯火と水鉢を前に置き、その傍らに横たわって眠ることにし、夜のうちに灯火に火をともし、水鉢に植物を生やすことのできるものが、人間に魂を入れ、その守護霊となることに決めた。
他の二人が眠っても、シベゲニ・ボルハンは起きたままでいると、マダリ・ボルハンの前のたいまつに火がつき、植物が生(は)えているのが見えたので、その隣人のたいまつを消して、その植物を自分の水鉢に移しかえると、自分の灯火をつけた、翌朝はやく、他のボルハンたちは、火と植物がシベゲニ・ボルハンのところに現れているのを見て、人間に魂を入れ、それを庇護(ひご)する定めはかれのものであると判断した。だがマダリ・ボルハンは、シベゲニ・ボルハンがごまかしをやったと気がついて、「おまえは私の火と植物を盗んだではないか。だから、おまえが魂を入れた人間どもも、互いに盗み合い、争い合うようになろうぞ」と言った。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P139-140)/Harva, Uno 1938 (ハルヴァ
1971)
■宮古島平良の仏教説話
――宮古島平良(ひらら)の砂川マツさんから私が聞いた事例では、
ミルクポトケ(弥勒)とサクポトケ(釈迦)が、花を咲かせる競争をして、どちらが宮古島を守るかを決めたことになっている。この場合も、ミルクポトケは居眠りし、サクポトケは花を取り換えてしまい、負けたミルクポトケは仕方なく唐に行くことになった。
――ブリヤート族の話と比べてみれば、両者が同じ話の二つの異伝にすぎないことは明らかである。(略)、どちらの場合でも、ずるいのは釈迦で、ペテンにかけられたのは弥勒である。朝鮮の咸鏡南道(かんきょうなんどう)の巫歌(ふか)の場合も、これらの点はまったく同じである。(略)、比較例から除いておくべきであろう。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P140)/大林太良 1975
以上の三つの類例は、どれも同一の仏教説話に由来するものであり、神話として拡散したものではない。その点で、これらを誓約説話と比較するのは適切ではない、と氏は述べている。
天界の王位簒奪
天界の王の座が何度も繰り返し簒奪されるという神話で、ギリシア神話をはじめとして印欧語族の神話に見られる。
■ギリシア神話の展開(ゼウスが世界を支配するまで)
【ウラノスの支配】
○最初に、天空ウラノスが世界を支配した
【クロノス(ティタン神族)の支配】
○母ガイアの策略に加担し父ウラノスを傷つけた、ティタン神族のクロノスが支配権を奪う
○ゼウス誕生
○ゼウス、兄弟たちを救出(父クロノスの腹の中から吐き出させる)
【ゼウス(オリュムポス神族)の支配】
○ゼウスらオリュムポス神族がティタン神族を倒し、クロノスから支配権を奪う
○ゼウス、ポセイドン、ハデスの3兄弟が世界を配分統治する。天空の支配者ゼウスが最高神となる。ポセイドンは海、ハデスは冥界を割り当てられる
○怪物たち(テュポン、ギガスたち)との戦いに勝利し、ゼウスらオリュムポスの神々の支配が揺るぎないものになる
引用元:『図解雑学ギリシア神話』豊田和二監修(P39)
以下、上記の参考文献から具体的な展開を引用する。
■ギリシア神話1/4 - ティタン神族の誕生
ガイア(※大地)はウラノス(※天空)と交わり、今度は単なる自然の神格化ではない神々を生んだ。まずはオケアノスら男女6神ずつのティタン神族を生み、次いで額の真ん中に目を持つ一眼巨人(いちがんきょじん)のキュクロプスたち、50の頭と100本の腕を持つ百腕巨人(ひゃくわんきょじん)のヘカトンケイルたちを生んだ。キュクロプスたちと、ヘカトンケイルたちは、いずれも3兄弟として生まれた。
ところが、ウラノスは奇怪な姿をしたキュクロプスたちとヘカトンケイルたちを憎み恐れ、大地の奥深くへと押し込めてしまった。ガイアは苦痛にうめき、夫のひどい仕打ちに憤慨した。そこで、ウラノスに一矢(いっし)報いようと、ガイアはティタンたち(※ウラノスとガイアの子たちをティタン神族と呼ぶ)に復讐を呼びかけたが、彼らは父親を恐れ、うつむくばかりだった。そんななかいちばん年下のクロノスだけが、母の計略に加担すると申し出た。
クロノスは、ガイアに授けられた鋼鉄の大鎌を持ってウラノスを待ち伏せした。夜になり、ウラノスがいつものようにガイアに覆いかぶさったとき、クロノスは物陰から忍び出て、父ウラノスの陰部を切り取り、遠くへと投げ捨てた。ウラノスの傷口から流れた血は大地にしたたり、月満ちて、復習の女神エリニュスたち、巨大な怪人ギガスたち、メリアと呼ばれるとねりこ(※モクセイ科の落葉高木)のニンフ(※精霊)たちを生み出した。一方、波立つ海へと投げ込まれた陰部からは、やがて白い泡が湧き出て、愛と美の女神アプロディテ(※泡の意)が誕生した。
こうしてクロノスは、今までウラノスが握っていた世界の支配権を奪い、自分の手中におさめたのだった。
引用元:『図解雑学ギリシア神話』豊田和二監修(P32)/※印は当サイトによる附記
関連形式:天父地母型▲、天地分離神話(子供による分離▲/太陽等による分離▲)、死体化生型▲、一つ目の鍛冶▲
■ギリシア神話2/4 - ゼウス誕生
クロノスは、姉妹のレアと結婚した。ところが、ガイアとウラノスに「お前も自分の息子に世界の支配権を奪われるだろう」と予言されたため、レアが産んだ子供を次々と呑み込んでしまう。レアは、(略)、6番目の子を懐妊したとき、今度産まれてくる子は絶対に守ろうと決め、(略)、両親は娘の願いを聞き入れ、レアを密かにクレタ島に導いた。
クレタ島で無事に男の子(※ゼウス)を出産したレアは、わが子の養育をガイアに任せ、クロノスには産着(うぶぎ)を着せた大きな石をわが子と偽って渡した。クロノスは何の疑念も抱くことなく、その石を呑み込んだ。
(略)、成人したゼウスは、ガイアの教えに従いクロノスに吐剤(とざい)を飲ませた。するとクロノスは、まず石を吐き出した。ゼウスの身代わりとなった石である。次いでゼウスのすぐ上の兄ポセイドン、さらに長男のハデス、3女ヘラ、次女デメテル、長女ヘスティアが出てきた。(略)、ゼウスは兄姉たちとともにテッサリア北部のオリュムポス山に住まいを定めた。この山の名から、彼らはオリュムポス神族と呼ばれるようになった。
引用元:『図解雑学ギリシア神話』豊田和二監修(P34)/※印は当サイトによる附記
■ギリシア神話3/4 - ティタン神族との戦い
やがてゼウスら若い世代の神々とティタン神族との間に、世界の支配をめぐる壮絶な争いが始まった。両者は互いに譲らず、10年もの間すさまじい戦いを続けていたが、あるときガイアが「大地の奥に幽閉されている者たちを味方につければ勝利する」という秘策をゼウスに授けた。
ゼウスはさっそく地下に幽閉されていたキュクロプスたちとヘカトンケイルたちを解放し、彼らを味方につけた。鍛冶(かじ)の名手であるキュクロプスたちは、ゼウスのために強力な武器となる雷霆(らいてい)を与えた。雷霆とは、炎の矢を束ねたような武器、すなわち雷である。一方、百腕のヘカトンケイルたちは、戦場でその威力を発揮した。
ヘカトンケイルたちは、合計300本の腕にそれぞれ巨岩をつかみ、ティタン神族めがけて投げつけた。ティタン神族はこれを懸命にこらえたが、大地は激しく震動し、うめき声をあげた。さらにゼウスが雷霆を打つと、その威力に大地は炎上し、川や海は沸騰した。ティタンの神々は激しい雷光のために視力を失った。
とどめを刺したのは、ヘカトンケイルたちだった。勢いを増した彼らは、300本の腕で、連射のごとく巨岩を投げ続けた。するとティタンの神々は大量の巨岩の下敷きとなって身動きがとれなくなってしまった。ゼウスは、彼らを鎖につないで、大地の奥底のタルタロスへと送った。
こうしてティタン神族を倒したゼウスは、父クロノスに代わり、神々の王となった。また、ゼウスら3兄弟はくじを引き、ゼウスが天空を、ポセイドンが海を、ハデスが冥界(めいかい)を統治することに決めた。
引用元:『図解雑学ギリシア神話』豊田和二監修(P36)
関連形式:三界分治モチーフ▲
■ギリシア神話4/4 - 怪物たちとの戦い
ティタン神族がタルタロスに幽閉されたのち、ガイアはタルタロスと交わって、半人半獣の巨大怪物テュポン(またはテュポエウス)を産んだ。
テュポンはギリシア神話中最大最強の怪物といわれる。この怪物は、頭が天の星に届くほど巨大で、左右の腕を伸ばせば西と東の端に届いた。肩からは蛇の頭が100も生え出て、下半身は大蛇のごとくとぐろを巻いていた。そのうえ動くたびにシュウシュウと大音響を発し、目からは火を放った。
あるとき、この恐ろしい怪物が、天地を支配せんとオリュムポス山に攻め上ってきた。陰謀に気づいたゼウスは激しく雷鳴を打ち鳴らして威嚇(いかく)するが、テュポンも炎を放って対抗する。激しい攻防ののち、ゼウスがテュポンの頭上に雷霆(らいてい)を打つと、とうとう怪物はよろめき倒れた。すかさずゼウスは、テュポンの巨体をタルタロスへと投げ込んだ。
(略)、さらに、オリュムポスの神々は、ウラノスの血のしたたりから生まれたギガスたちとも戦ったという。
(略)、こうしてゼウスらオリュムポスの神々は、手ごわい怪物たちに勝利し、世界の支配を揺るぎないものにしたのだった。
引用元:『図解雑学ギリシア神話』豊田和二監修(P38)
関連形式:龍蛇退治▲
このように見てみると、ギリシア神話においては天界の王位が頻繁に交替しており、文藝的に発展したものとはいえ、「王位は勝ち取るもの」という観念が強かったことがわかる。また、誓約説話との関係を除外しても、天父地母型▲や天地分離神話▲、三界分治モチーフ▲等、日本神話と共通する要素が多いことにも気づく。
■誓約説話との共通点・相違点
誓約説話の場合、須佐之男命▼が天に上り、高天原の支配者である天照大御神▼と勝負を行っている。また、須佐之男命▼が勝ち誇って(もしくは負けた腹いせに)高天原で乱暴を働き、それによって天照大御神▼が隠れており、そういう点において両者の対立・闘争が認められる。ただし、「仮に」それを王位簒奪と見なしたとしても、記紀神話では王位簒奪はそれ一度きりであり、継続的な簒奪という要素が欠けている。また、須佐之男命▼も高天原の支配者となったわけではないという大きな違いがある。そういう点では、むしろ王位簒奪に失敗する怪物に近い。
とはいえ、その展開に見える様々な神話形式・観念には類似点も多いため、大林太良等は、誓約説話のみならず、天父地母型▲や天地分離神話▲、三界分治モチーフ▲等を含んだ共通性を持った展開の存在を示唆し、二神の存在に影響を与えた可能性を指摘している。
■展開的な共通点・相違点
まず、最初に支配を確立したウラノスは天空神、妻のガイアは大地の女神である。これは天父地母型▲であり、記紀神話の伊邪那岐神▼・伊邪那美神▼に相当する。次に、ウラノスは子のクロノスに陰部を切り取られることによってガイアと分離しているが、記紀神話の場合、迦具土神▼を生んだことによって伊邪那美神▼が陰部を焼いて亡くなり、夫婦が別離している。その性別こそ違うものの、子供による天地分離▲という点では両者は共通している。
ただし、クロノスはそれによって王位を簒奪しているのに対し、記紀神話では死んだのは女神の方であり、そのため迦具土神▼は王位を得るどころか父の伊邪那岐神▼によって斬り殺されている。(ただし、ウラノスの血から神々が化生したように迦具土神▼の血から神々が化生しており、そういう点ではそれぞれの発展による差異とも見なせる)。
次に、今度はゼウスが父クロノスに代わって王位を得るが、兄弟で支配領域を分割するのは三界分治モチーフ▲であり、これも記紀神話と共通する。ただし、記紀神話では父の伊邪那岐神▼が自主的に領域を分け与えており、三貴子が父を倒して手に入れたものではないという差異がある。
このように見てみると、記紀神話では簒奪に成功する例はないものの、奇妙な類似点が散らばっていること自体は否定できない。(これ以外にもデメテル神話▲の異伝等との展開的な共通点がある)。そのため、ギリシア神話が古くより文藝的に装飾され続けていたものであることを踏まえると、その原形においてなんらかの共通する展開があった可能性は十分にある。そうした可能性から誓約説話を考察するに、たとえばクロノスが石とともに子を吐き出したことと、天照大御神▼と須佐之男命▼が珠や剣を噛んで子を生んだこと等の関係を模索することも可能かもしれない。
■フェニキア神話(抜粋)
王位を簒奪された王は、去勢されてしまう。
――つまり、性器損傷は西方の天界の王位神話にしばしば見られる要素なのである。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P136)
後述する古代ヒッタイトの天界の王位簒奪においても陰部の切断があり、フェニキア神話にもその要素が見られる。参考のために抜粋し、紹介しておく。
川を挟んでの神婚
天照大御神▼と須佐之男命▼は天之安河を挟んで対峙しており、さらに互いの物実を交換して子を生んでいる。これは直接的な交合ではないが、間接的な結婚と見なすことができるため、川を挟んでの男女神の結婚や、川辺における間接的な子生み等との比較が行われている。たとえば、前者の場合、古くは中国の牽牛・織女の物語(一応、七夕の彦星・織姫に相当する)と比較されており、後者の場合、イラン周辺に見られる川辺における岩の受精(太陽神的な英雄の岩からの化生)という神話観念との比較がなされている。
■イランの神話
この世の最初に、最初の人間である原人・ガヨマルトと、それから最初の牛・原牛がいたが、その両方とも死んでしまう。死ぬと原牛のからだからいろいろな作物、ことに穀物や薬草が発生した。また、死ぬときにこれは雄の牛なので精液を出し、その精液が月の中に運ばれてそこで清められた。その清められた牛の精液から最初の牛の夫婦が生まれた、という。
またそれと並行して原人・ガヨマルトも死んだが、ガヨマルトが死ぬとガヨマルトのからだは金属でできていて、からだの各部分が七種類の金属になった。またガヨマルトも死ぬとき精液を出し、その精液は太陽の中に運ばれ、そこで清められて、その精液から一本の潅木(かんぼく)がはえてくる。その潅木に二つのつぼみがついてきて、片方が男、片方が女で、これが最初の人間の夫婦になった。
引用元:『神話の話』大林太良著(P88-89)
――ゾロアスター教の経典に記されたイランの神話によれば、
人類の祖先の原人ガヨーマルトは、最高神オールマズドとその娘の大地女神スペンダルマトの結婚から生まれた。この原人は、大悪魔のアーリマンによって殺されたが、彼が死ぬ時にもらした精液が、母親のスペンダルマトの胎内に入り、その結果、四十年後に大地から十五枚の葉を持つ一本の植物(ダイオウの一種)が生え、それがやがて、十五歳の人間の男と女になった。この最初の男と女は、はじめはたがいの身体が密着し区別のつかぬ形をしていた。
引用元:『世界の始まりの物語』吉田敦彦著(P96)
関連形式:世界巨人型▲、作物起源神話▲、人類起源神話(植物型▲)
この文中には見られないが、ガヨマルトと原牛は世界を貫流する川を挟んで対峙していたという。(当然ながら)両者間の交接はないが、それぞれ自身の精液によって(それが太陽や月で清められた結果として)牛や人間を生んでおり、そういう点では闘争ではないが、先に挙げた二重創造とも関係するかもしれない。
■誓約説話との共通点・相違点
イラン神話では宇宙的規模の川を挟んでおり、両者の肉体・精液からそれぞれ両者の性格に関係する物体・夫婦が化生している。また、精液が太陽や月という神聖な場所で清められ、その結果として両者の子孫と見なせる牛の夫婦、人間の夫婦が誕生している。誓約説話も天界にある川を挟んでいる。化生は肉体・精液からではなく物実(所持品)からであるが、それを口に含んで噛み、息の霧として吹き出しており、その点で両神のエキスが加えられたとも受け取れる。さらに物実は神聖な井戸水によって清められている。そういった点では両者には共通性が認められる。ただし、誓約説話には物実を交換するという要素があるが、イラン神話には両者の接触は見られない。
■オセット人の『ナルト叙事詩』 - ソスランの誕生
――太陽神的存在が、水辺にある岩から生まれるという話は、コーカサス地方に住むオセット人の伝説にもある。このオセットという民族は、古代にユーラシアのステップ地帯で活躍した、イラン系の遊牧民族スキュタイ人の系統を引く。かれらの間に伝わる英雄伝説は、スキュタイ人の古い神話が変化したものであることが確実と考えられるのだ。オセット伝説には、太陽神的性格のいちじるしいソスランという英雄が登場する(略)。
ある時のこと、サタナという名の不思議な魔力を備えた絶世の美女が、川岸で洗濯をしていた。すると向う岸で家畜の群を飼っていた男が、彼女のむき出しになった股の奥を見て欲情し、そばにあった岩の上に精液を流した。この結果岩の中に受胎され、月が満ちた時サタナによって岩から取り出されて自分の子として育てられたのが、ソスランである。
引用元:『世界のはじまりの物語』吉田敦彦著(P49)
関連形式:水辺の岩からの太陽神誕生▲
オセット人はイラン系スキタイ人の末裔(現在はロシア領内・グルジア領内の各オセチア共和国に居住する)であり、その『ナルト叙事詩』には古代イランの神話やスキタイ人の神話が少なからず残存していると考えられている。川辺の岩が受精し、その岩から人間が生まれるという特殊な観念も、古代イラン神話に遡るものと考えられる。
上記のサタナは海神の娘ゼラセが「死後に」馬とともに生んだ子(死後にワステュルジによって屍姦され、墓の中から生まれた)であるが、その母ゼラセは釣針龍女型▲(失われた釣針型▲+メルシナ型▲)の主要人物でもある。
■誓約説話との共通点・相違点
共通点としては、男女が川を挟んでいる点、男女が直接的な交接を行っていない点(女神自身が娠んだのではない点)、物から子が生まれた点、その子が女神の子として扱われ、育てられた点、生まれた子が太陽の女神の子である点が挙げられる。ただし、男性は子を得ずに女性だけが子を得ている点(一方的な関係である点)、一子のみである点が異なる。印欧神話を専門とする吉田敦彦は、天照大御神▼が処女性を損なわずに日の御子を生んでいることに関し、こうした特殊な観念があった可能性を示唆している。
二代続けての異常出生
大林太良は、禊ぎの説話と誓約の説話において、二代続けて異常出生▲(通常とは異なる出生方法)が語られていることに着目し、この二つの説話が対をなし、一方が他方の変換形ではないかと考えた。
| − |
禊ぎの説話 |
誓約の説話 |
差異 |
| 契機 |
二大領域の接触 |
二大領域の接触 |
共通 |
| 高天原(上界)→黄泉國(下界) |
海/根國(下界)→高天原(上界) |
相違(対照) |
| 直前 |
男女両神が千引之石を挟んで対峙 |
男女両神が天之安河を挟んで対峙 |
共通 |
| 結果 |
男女両神は永久に離別し、男神が神を生む |
男女両神は物実を交換し、それぞれ神を生む |
相違 |
| − |
(※最終的に男神は追放され、永久に離別) |
− |
| 子の性別 |
男神が男子・女子を生む(両性) |
男神が男子、女神が女子を生む(単性) |
相違(対照) |
| 水の関与 |
子を生む際に海水を用いる |
子を生む際に井戸水を用いる |
共通 |
| 所持品を脱ぎ捨て、体のみ水に入る |
所持品を水ですすぎ、それを口で噛む |
相違(対照) |
| 水に入った体から神が化生 |
水ですすいだ所持品から神が化生 |
共通 |
| 水に入らなかった所持品からも神が化生 |
− |
相違 |
| 所持品 |
杖、衣服、冠、腕輪 |
玉、剣 |
相違(補充) |
| 部位 |
両目・鼻から三貴子を生む |
口から子を吹き出す |
相違(補充) |
解釈の仕方によって意見も異なるであろうが、このようにまとめると、たしかに禊ぎの説話と誓約の説話には共通点や対応する点が多いことがわかる。大林太良はこれを出発点とし、古代中国の文献神話や古代ヒッタイトの神話(これは先に挙げたギリシア神話とも親縁関係にある)との比較を行っている。
■禹の出生(禹の治水伝説) - 『山海経』「海内経」
――これには異伝も多いが、そのなかでも古い形式をとどめていると思われるのは『山海経(さんがいきょう)』の海内経(かいだいきょう)の記すところである。
むかし洪水が天にはびこったとき、鯀(こん)は帝、つまり天神の息壌(そくじょう)を盗み出してきた。息壌とは、ひとりでに息(ふ)えて、いくら使っても減らない土のことである。鯀はこの土で洪水を堙(ふさ)いで、帝の命令をきかなかった。そこで帝は祝融(しゅくゆう)に命じて鯀を羽山(うざん)の郊で殺させた。すると鯀の腹から禹(う)が生まれた。そこで帝は今度は禹に治水を命じたところ、禹は土を布(し)いて治水に成功し、九州を定めたという。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P61-62)
■啓の出生(啓母石の伝説) - 『漢書』の顔師古の注
啓は禹の息子で、その母は塗山(とざん)氏の女(むすめ)である。禹は治水工事をしているときは熊に変身していた。禹は妻に向かって、鼓(つづみ)の音を聞いたらば、食事をもってきてくれ、と言った。ところが、禹は石を跳ばしてしまい誤って鼓にあたり、音が出た。妻の塗山氏が弁当をもって行ってみると、夫はまさに熊の姿になっていた。妻はこれを恥ずかしく思い、崇高山(すうこうざん)の麓までやってきたところ、化して石になってしまった。ちょうど子供が生まれるところだった。禹が「我が子をかえせ」と叫ぶと、石は北方が破れて、そこから啓が生まれた。
――啓とは開くという意味だから、石が開いて生まれたというわけである。
そして禹は治水に成功し、王者となり、息子の啓から夏(か)王朝がはじまった。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P62-63)
なお、上記の参考文献によれば、啓の父の禹もまた石から生まれたという古伝承(『淮南子』修務訓)や、鯀が死後に黄熊となったという記載(『楚辞』「天問」、『左伝』)等もあるという。大林太良は異伝等を含め、禹の出生神話と啓の出生神話とを「極めて密接な関係にある対をなす二つの神話」と位置づけている。
■誓約説話との共通点・相違点
禹は父の鯀(熊に化したという異伝もある)から単性生殖で生まれ、禹の子の啓は石(と化した母)から生まれている。記紀神話の場合も、最初は単性生殖で生まれ、次に物から生まれている点は(自然物と人工物の相違はあるものの)共通する。また、禹には妻がおり、本格的な男女の協力によって啓が生まれたものの、その結果は石からの化生という異常なものである。記紀神話の場合、男女神は結婚はせず、物実の交換という形で男女の協力があり、その結果として物から子が化生している。二大領域の接触等は見られないが、中国の場合、治水伝説として独自の発展をしていることもあり、その古形の神話において共通性を有していた可能性も捨て切れない。大林太良はそれを解く存在として、古代ヒッタイトの神話を挙げている。
■古代ヒッタイトの神話 - アナトリア半島(トルコ)出土/紀元前2000年頃
――ヒッタイト王国の首府ハットゥーシャの遺跡から出土した多量の粘土板文書によって、ヒッタイトの神話が明るみに出された。(略)
原古において、アラル神が天界の王だった。しかし、アラルが九年間支配したのちに、臣下のアヌがこれを地下界へ追い、自ら天界の王位についた。アヌの王位も九年つづいたのち、臣下のクマルビに脅(おびや)かされた。アヌは鳥のように空を飛んでクマルビから逃れようとしたが、クマルビはアヌを捕らえて天から引きずりおろしたばかりか、アヌの男根を噛み切って嚥(の)みこんでしまった。勝ちほこり高笑いするクマルビに対して、アヌは、「喜ぶのはやめろ、私はお前の体内に三柱の神を孕(はら)ませたんだぞ、嵐の神、アランザハス河(ティグリス河)の神、タスミス神だ、彼らは最後にはお前の頭を、お前自身のものである山の岩角にたたきつけることになるだろう」という恐ろしい宣告をし、天にのぼっていった。
これを聞いたクマルビは、嚥(の)みこんだものを吐き出すが、完全には吐き出し切れず、彼の体内には嵐神が孕まれ、大きくなっていく。するとアヌ神は、クマルビの体内の嵐神と対話をし、嵐神は将来、自分がアヌの仇討ちをすることを約束する。アヌはクマルビの身体のさまざまな部分の名をあげて、そこから体外に出るようにすすめるが、嵐神はなかなか承知せず、結局、嵐神は《良きところ》からクマルビの体外に出た。
――この《良きところ》とは、カークによれば、口でも肛門でもなく、おそらく男根をさしているらしい。
こうして生まれた嵐神が、今度はクマルビにかわって天界の王位につく。王位を簒奪(さんだつ)されたクマルビは、息子の嵐神に仕返しをするために、嵐神を仆(たお)すことのできるような怪物を生み出すことにする。クマルビは一個の巨大な岩と交わって精液を流しこみ、この岩は孕(はら)んで全身が閃緑岩(せんりょくがん)からなる棒のような形の子供が生まれた。クマルビはこれにウルリクンミという名をつけ、急速に成長して、十五日目には、腰から下は海中にあって、しかも頭は天に達するほど巨大になった。
ウルリクンミの存在を太陽神から知らされた嵐神は、知恵の神エアの助けをかりる。古い神々が、かつて天地を分離するのに用いた古い青銅製の小刀をもって、エアはウルリクンミの足を、彼が立っているウペルリの肩から切り離し、こうして石人の刀を奪った。
――粘土板が欠けているが、結局、嵐神がこの石人に打ち勝ったのは間違いない。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P66-67)/Güterbock, Hans G. 1961/カーク,
G. S. 1976(中断説明部分)
関連形式:天界の王位簒奪、天地分離神話▲
これは先に挙げたギリシア神話との共通性が指摘されている神話であるが、ここにおいても二代続けての異常出生▲が語られている。一度目はクマルビがアヌの男根を呑み込んで嵐神を生んだという部分であり、これは立場的にはアヌの子と見なせる。二度目はクマルビが岩に精液を流し込み、石人ウルリクンミを生んだという部分であり、この場合、奇遇なことに、(川辺ではないものの)古代イラン周辺の岩の受精の観念とも共通性を持つ。
■誓約説話との共通点・相違点
ヒッタイトの神話には天地分離神話▲の観念が見受けられ、上界と下界の接触と分離が主題の一つとなっており、その点では古代中国の神話よりも記紀神話に近い。また、最初は(アヌの子であるとしても)クマルビの単性生殖、次は石からの化生であり、その点は古代中国の神話とも記紀神話とも共通性を持つ。また、まったく別に誓約説話との関連が指摘されている天界の王位簒奪や岩の受精の観念が見られるというのも興味深い要素である。大林太良は三者間の類似について、「あるいは偶然ではないかもしれない。しかし、この問題はここでは追求しないことにする」と述べ、結論は出していない。単なる偶然である可能性も十分にあるし、なんらかの共通性を持った古形の神話観念が存在していた可能性もある。いづれにせよ、誓約説話をただそれだけから解釈するのではなく、その前後の展開や構造を含めて解釈するという手法は、今後、多くの示唆を与えるものであろう。
男性原理と女性原理の交換
男女神が物実を交換して子供を生んでいることに関して、かつて白鳥庫吉は、中国の武梁の石室に描かれた壁画との類似を指摘した。それは、兄妹神である伏羲と女咼がその蛇身の下部を互いに巻きあわせ、伏羲が地(=女性原理)を表す矩(巻尺)を持ち、女咼が天(=男性原理)を表す規(コンパス)を持っているという図である。(この兄妹は少数民族の神話においては兄妹始祖型洪水神話▲の主人公であるが、文献神話では神話的な皇帝として設定されている。この場合は後者の神話観念が描かれたものである)。
これはつまり、誓約説話における物実の交換が、男性原理と女性原理の交換・接触という古代観念によって語られている、さらにはそうした古代観念が基となって誓約説話が生み出されたという意見である。壁画のみをその証拠とすることはできないが、一応、天父地母型▲から発生した天地観念・男女観念とも見なせる。
■誓約説話との共通点・相違点
誓約説話では玉と剣が用いられており、玉は女性原理、剣は男性原理と見なされる。その両者を交換し、それぞれ男子・女子を生んでいる点で、たしかに物実と性別を結びつけることもできる。たとえば『古事記』では、天照大御神▼が須佐之男命▼の剣(=男性原理)を、須佐之男命▼が天照大御神▼の玉(=女性原理)を受け取るというように、相手の原理を手に取っており、その点は壁画の図と共通している。ただし、記紀によっては剣(=男性原理)の元々の持ち主が天照大御神▼、玉(=女性原理)の元々の持ち主が須佐之男命▼となっている記載もある。また、多くは玉(=女性原理)から男子が、剣(=男性原理)から女子が化生したとしており、それぞれの原理とは逆になっている。これを交換の結果の逆転・転換と見ることもできるが、しかし一書(二)では、玉(=女性原理)から女子、剣(=男性原理)から男子というように物実の原理のままの性別となっており、一貫性に欠ける。
また、一番の問題は記紀の記載によっては物実の交換が行われないということである。もし男女神の交接において、男性原理と女性原理の交換・接触という観念が重視され、それが表象として説話において語られたのであれば、玉や剣の持ち主、生まれた子の性別等、もっと一貫性があって然るべきであり、そうなっていないということは、そういった観念が誓約説話を生み出したのでも、重視されていたのでもないことを示している。「仮に」各原理の交換という観念があったとすれば、その観念は(伝承者・伝承集団に)十分に把握されていなかったことになる。
贈り物の交換
大林太良は、物実の交換に関し、ブリヤート・モンゴル族の神話において、天と地がそれぞれの子供を結婚させて縁者となった時に、大地の主が天を訪問し、贈り物の交換をしたという神話との類似を指摘している。
■誓約説話との共通点・相違点
二大領域の接触が主要素であり、ともに大地から天を訪問している点、所持品を交換している点が共通している。また、ブリヤート・モンゴル族の神話は太陽が隠れる神話の前半部であるらしく、記紀神話の場合とも流れが一致する。ただし、その神話においては「闘争・対立」の意味は見られず、子供の結婚という点でのみ「神婚・交接」の意味が見られる。なお、神話の詳細は未見であるため、これ以上の考察は無理である。
死体化生型との比較
誓約説話では、男女神が物実を噛み砕き、その息から神を生んでいる。これは物実からの化生と見なされるため、これを死体化生型▲(生体や無生物の物体からの化生も含まれる)の観念から解釈しようとする向きがある。また、『日本書紀』の一書(三)においては、須佐之男命▼が玉を身体の各部に置くことで、各部から神が化生したとあり、これは記紀神話にしばしば見られる身体(主に死体)の各部からの神の化生と共通性を持つ。そのため、死体化生型▲のみならず、その観念を含むハイヌヴェレ型▲や世界巨人型▲との比較も行われている(らしい)。
■誓約説話との共通点・相違点
死体化生型▲は一つの特殊な特徴を持った神話形式・神話観念ではあるが、それは物語的な要素を伴うものではなく、観念的なまとまり(分類方法)にすぎない。その点で、死体化生型▲というだけで比較を行うことは難しい。たとえば、物からの神の化生ということであれば、ここまでに挙げた類例の中にもいくつか見られる。ギリシア神話においてクロノスが石とともに子を吐き出したことは、石からの化生の変化したものとも受け取れるし、古代イラン周辺の岩の受精は死体化生型▲の観念そのものであり、それが物語を伴なったものである。古代中国の禹や啓の出生も、同様に岩からの化生であり、さらにヒッタイト神話のウルリクンミの出生も岩の受精である。つまり、死体化生型▲というだけでは対象が広すぎて意味を成さないのである。考察を進めるのであれば、どういう物語に伴って死体化生型▲が語られているのか、ということを考えなくてはならない。なお、下段において、その例として唾の化生を紹介する。
変身闘争型(魔法勝負)
誓約説話において、神話的に「闘争・対立」「神婚・交接」という二つの意味が認められることはすでに述べたが、その両者とは別に、もしくはその両者に関係するものとして、「呪術的な行為・要素」という側面があることも忘れてはならない。当サイトでは旧サイト時代より、誓約説話を呪術的な要素として捉え直すことを提唱し、私見として、エジプトやフィンランド、朝鮮半島、日本の地方伝承等に見られる変身闘争型(魔法勝負)▲との比較も可能ではないかと述べてきた。大林太良の論考(『神話の系譜』P111-114)において、高句麗の神話と記紀の誓約説話及び天岩屋説話との展開的類似がとっくの昔に指摘されていたことに気づいたのは、愚かにもつい最近のことである。簡単にいえば、その高句麗の神話というのも変身闘争型(魔法勝負)▲だったのである。
■『三国遺事』「駕洛国記」
首露(しゅろ)が天下って宮殿を建てた。すると玩夏(がんか)国の含達(かんだつ)王の夫人がちょうどそのころ妊娠していて卵を産み、その卵の中から人間が出てきた。そして、その人を脱解(だっかい)と呼んだ。この身長三尺、頭の丸さ一尺の脱解が海を渡って首露王のところにやってくると、王位を奪いにきたのだと不遜なことを言った。そこで、脱解と首露王は秘術を尽くして争った。脱解が姿を変えて鷹になると、首露王は鷲に変身した。脱解が雀になると、王は隼(はやぶさ)になった。脱解はとうてい首露王の敵ではなく、その国から逃げ去った。
引用元:『カレワラ神話と日本神話』小泉保著(P123)
関連形式:卵生型▲、朱蒙伝説▲(比較)、魔法勝負▲(変身闘争型)
■誓約説話との共通点・相違点
記紀神話の場合、男女神は変身ではなく子生みによって争っており、その化生も交互ではない。しかし、王位を奪いに来たという疑念から対立がはじまっている点、勝負の後も王位に変動がないという点、そして呪術的な行為によって自身もしくは自身の物実が姿を変え、それによって決着をつけている点は共通する。この点で、あるいは天界の王位簒奪に類する神話(失敗型)であり、東アジアにおける変化・特徴とも見なせるかもしれない。
■高句麗の神話 - 『旧三国志』
天帝はその太子解慕漱(かいぼそう、天王郎)を地上に降臨させた。そして河伯(かはく)つまり河の神の長女柳花が熊心淵(ゆうしんえん)で遊んでいたところ、解慕漱(かいぼそう)がトリックにかけて捕らえてしまった。河伯はこの無礼を責め、もしも天王郎が本当に天帝の子ならば、何か神異なことがあるはずだと言った。そこで天王郎は天帝の子であることを証明するために、河伯と変身試合を行なった。つまり、河伯が庭前の水中において鯉に変身すると、天王郎は獺(かわうそ)に変身してこれを捕らえる。今度は河伯が鹿となって走ると、天王郎は豺(さい)に変身して追いかける。河伯が雉(きじ)に変身すると、天王郎は鷹(たか)になってこれを撃った。
そこで河伯は天王郎が天帝の子であることを確信し、天王郎と河伯の女は結婚式を挙げた。しかし、河伯は天王郎が妻を天に連れて行かないのではないかと心配し、宴会を開いて天王郎にさかんに酒を飲ませて酔わせてしまった。そして花嫁花婿ともに小さな革の輿(こし)に入れて、竜車にのせて天に昇らせようとした。ところが、その車がまだ水界から出ないうちに、天王郎は酔いからさめ、女の黄金の釵(かんざし)をとって革輿を刺して穴をあけ、そこから一人だけ抜け出て天にのぼった。
あとに残された柳花は、後に天王郎の変身と見られる日光に感精して朱蒙(しゅもう)を生み、これが高句麗(こうくり)王朝の祖となった。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P111-112)
関連形式:朱蒙伝説▲、日光感精型▲、魔法勝負▲(変身闘争型)
これだけを見ると、たしかに変身闘争型(魔法勝負)▲は語られているものの、しかし誓約・天岩屋との展開的類似というには問題があるようにも思える。そこで、大林太良は下記のように両者の共通点をまとめている。
| − |
記紀神話 |
高句麗神話 |
| 1.訪問 |
スサノヲがアマテラスを高天原に訪問 |
天王郎が河伯を青河に訪問 |
| 2.素性 |
スサノヲは海原/根国、アマテラスは高天原 |
天王郎は天、河伯は水界 |
| 3.対立 |
スサノヲは潔白を証明するために争う |
天王郎は天帝の子たることを証明するために争う |
| (上界と下界の対決) |
(上界と下界の対決) |
| 4.勝負 |
それぞれの物実から子を化生させる |
それぞれ連鎖的交互変身をする |
| (物実の変身) |
(肉体の変身) |
| 5.結果 |
アマテラスはスサノヲの生んだオシホミミを養取 |
天王郎は河伯の娘柳花をめとり、子朱蒙を得る |
| (上界と下界の結合) |
(上界と下界の結合) |
| 6.隔離 |
アマテラスはスサノヲの乱暴のため天岩屋に避難 |
天王郎は河伯により革輿の中に閉じ込められる |
| 7.脱出 |
アマテラスが天岩屋より出る |
天王郎が革輿より脱出 |
| 8.結末 |
スサノヲは根国に放逐される |
天王郎はひとり天に帰る |
| (上界と下界の分離) |
(上界と下界の分離) |
参考元:『神話の系譜』大林太良著(P112-113)
■誓約説話との共通点・相違点
まず、両者ともに二大領域の代表者の接触(訪問)が勝負の契機となっている点、潔白や正統性を証明するために勝負を行なっている点が共通する。問題は首露と脱解の対立と同様に勝負の方法であり、記紀神話の場合、子生みによるという点と、交互ではないという点が異なる。ただし、物実の変身と肉体の変身と見れば、両者には共通性があり、変身闘争型▲の要素が子生みに変化し、そのために交互ではなくなった(もしくは別種の神話観念の影響を受けた)と考えることができる。その後の展開については、表面的には類似していないが、構造・展開として見れば、共通性を指摘することは十分に可能である。『三国遺事』の変身闘争型▲も考慮に入れれば、日本と朝鮮半島においてなんらかの共通性を持った神話展開があったことが想定でき、先に述べた二代続けての異常出生▲と同様、誓約説話の前後も含めた全体的な展開・構造の比較・考察がより重要になってくると考えられる。なお、その共通性を持った神話展開に関しては、その原形において、たとえば二重創造(二大領域の代表者の対決)、天界の王位簒奪(王位を奪いに来る存在)等、これまでに挙げた神話形式・神話観念と関連するものである可能性にも留意すべきであろう。
■日本の地方伝承 - 吉備津彦神社(岡山県)
吉備津彦命が大和から吉備にやってきたとき、百済の国の王子温羅(おんら)は身の長一丈四尺という巨漢で、日本を奪おうと海を渡って吉備の国へやってきた。そこに城や砦を構えて税金を奪うなど住民を苦しめた。
そこで、吉備津彦は自ら出陣して、日本(※二本)の矢を放った。一本は空中を飛び去ったが、他の一本は温羅の左目に当たった。温羅はもはや逃げることができないと観念して、雉子に化けて山へ逃げこんだ。吉備津彦は鷹になってこれを追う。温羅が困って川に入り鮭に化けると、吉備津彦は鵜になって、これをつかんだ。かくて温羅は降伏した。
引用元:『カレワラ神話と日本神話』小泉保著(P124)/※誤字を修正
関連形式:魔法勝負▲(変身闘争型)
■誓約説話との共通点・相違点
これは日本においても変身闘争型▲が伝承されていたことを示すものである。その対立の契機は朝鮮半島の二つの類例と同様に、別の領域からの訪問であり、そういう点で、変身闘争型▲と誓約説話の間には共通性があることになる。ただし、変身闘争型▲の三者ともに同一の構造であることは、誓約説話も原形においては変身闘争型▲として語られており、それが別種の神話観念等の影響を受けて「子生み」に変化するに至った、もしくは「子生み」に変化したことにより、別種の神話観念によって説明されるようになった、という可能性に繋がるものかもしれない。
唾からの化生
古代日本には唾に呪力があるという信仰があり、記紀神話にも約束を固める際等においてその要素が語られている箇所がある。誓約説話においては、唾そのものは語られていないが、男女神がそれぞれ物実を口に含んで噛み、その息の霧から子を化生させており、その部分に唾の呪力の観念を見ることができる。
■ボルネオ島のケンヤー族の神話
ケンヤー族の文化英雄オヤウ・アベン・リアンが天上(マラウ川の川上に位置する)にのぼって女神アウェン・ウライの試みをうけるところ。「お前はほんとうにオヤウ・アベン・リアンなの」「そのとおりです」「では、お前と私と一緒に唾(つば)を吐いてみましょう。この蒟醤(きんま)をお食べ。お前のいうことが正しければ、われらの吐く唾は同時に二羽の鳥、二羽の犀鳥になるであろう。お前のいうことが嘘なら、私の唾は犀鳥に、お前の唾はただの鳥になるだろう」。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P142)/岩田慶治 1973
■誓約説話との共通点・相違点
ボルネオ島の類例は、宇宙領域の代表者ではなく、相手の領域を奪おうとするものでもなく、子を生むものでもない。しかし、一方の言葉が真実であるか否かを試すという行為は誓約そのものであり、そこに唾(口から吐いた物)が関与している点、その唾の変化・化生から判断している点が一致する。
■中国の物語 - 『神仙伝』
――『神仙伝』巻十によれば、
班孟(はんもう)は墨を口中に含んで嚼(か)み砕いて、広げた紙に向かって噴き出すと、墨汁はみな文字となり、紙いっぱいの文字が自然に意味のある文章となった。
柳融(りゅうゆう)が粉を口に含んで吐き出すと、数十個の鶏卵となった。
……という例などは、あまり類似は大きくない。
――比較例としてより適切なのは、『神仙伝』巻七の樊(はん)夫人とその夫劉綱(りゅうこう)の話である。
二人はともに道術に長じ、ときどきその術を比べたが、あるとき劉綱が皿の中に唾を吐き出すと、それが鯉に変わり、夫人が唾を吐き出すと、それが獺(かわうそ)に変わって、綱の鯉を食べてしまった。
引用元:『神話の系譜』大林太良著(P143)/広畑輔雄 1977
関連形式:魔法勝負▲
■誓約説話との共通点・相違点
この中国の類例も、唾がなんらかの物体に変化・化生する点で、ボルネオ島の類例と共通性を持つ。ただし、ここでは誓約(判断)としての意味は有しておらず、単なる呪術の披露となっている。とはいえ、そのうちの巻七の記載は、自身の変身ではないものの変身闘争型▲の勝負とも類似が見られる。
考察
以上、誓約説話との共通性が指摘されている神話形式・神話観念を類例とともに紹介した。どの意見も、納得のいく点もあればいかない点もあり、結局のところ、神話の不思議さを改めて感じた、というのが個人的な感想である。研究者の中には、このような神話学の意見(諸外国の神話に誓約説話の起源を求めること)に対して懐疑的な者もおり、さらには単なるこじつけだとか、神話学は空想だと批判する者もいる。(記紀創作論者であるが)比較神話学の手法にも理解を示す松前健も、すべてを印欧語族等の神話との比較に頼ることに抵抗を示し、日本独自の習俗・観念として考察すべきであると述べている。とはいえ、歴史学者等の解釈や意見は日本神話のみにしかあてはまらないという極めて特異なものばかりであり、神話の伝播や変遷がまだ学術的に認められていなかった段階の思考といわざるをえない。
たとえば、歴史学者の多くは、誓約説話を編纂者によって創作・造作されたものと決めつけ、天照大御神▼と須佐之男命▼の系譜を交叉させる目的で創作されたものといまだに主張し続けている。そして、男女神が直接的な交合を行なわずに子孫を生んでいることをその根拠の一つとする。彼らによれば、そのような子生みは特殊であり、一般的ではなく、大いに不審が残るのだという。ところが、これまで挙げた類例を見ればわかるように、特殊な出生というのは神話においては特殊なことではない。そもそも神話というのは我々から見れば特殊なことばかりを語るものであり、むしろ特殊であるからこそ神話として語られるのである。それに、男女神が直接的な交合を行なわないことを創作・造作の根拠とすることにも、当然ながら問題がある。彼らはそれが大和政権の正統性を誇示するための(編纂者による)苦肉の策であると主張する。しかし、系譜を交叉させる目的があったのであれば、そのような特殊な出生方法を創り出さずとも、直接的な交合に書き換えればいいのであって、それを回避する特別な理由はない。(実際、歴史学者の意見をすべて認めると、無から創作された神々や無から創作された説話が山ほどあることになる。誓約説話だけ慎重に書き換える理由はない)。つまり、歴史学者は神話が(我々から見れば)特殊なことばかりを語るものであるという基本的なことを理解していないのである。岩の受精であるとか、岩からの出生であるとか、男神からの単性生殖であるとか、そうしたことを「ありのままの神話」として認めることができなければ、もはや「神話」を解釈する資格はない。歴史学者は自分たちが門外漢であることを認め、すべてを神話学者に任せるべきであろう。
ただし、神話学者によってすべての研究課題が解決されるかといえば、実際はそうではない。上記で挙げた類例を見てもわかるように、神話はその内面に単純さと複雑さを兼ね備えており、その伝播と変遷の過程は複雑きわまりないものである。様々な神話形式・神話観念が一つの神話の内部に混在しており、そうした神話がそれぞれ影響を及ぼしあうことによって形成されている。かと思えば、一目でわかるような単純な神話形式・神話観念もあり、単一でわかりやすい分布域を形成していることもある。誓約説話の場合、多種多様な解釈の仕方が可能であり、そのため諸外国の神話との比較がより重要となる。そしてまた、諸外国の神話と比較することにより、多種多様な解釈の仕方も可能となる。この貢で取り上げた神話形式・神話観念以外にも、探せば共通性を持った神話はいくらかは見つかるであろうし、そうしたことによってまったく新しい解釈が提示されることもあるかもしれない。私個人でいえば、(すでに指摘されていたことを知らなかっただけとはいえ)変身闘争型▲の展開との共通性を見出したことがそれにあたる。
最終的な結論は出ないものの、誓約説話が「神話」である以上、その解釈は「神話」に求めるべきであり、大林太良が提唱しているように、誓約説話をただそれだけから考察するのではなく、その前後の展開・構造も含めて比較するという手法が、より一層、重要となってくることであろう。
